2011年4月9日土曜日

プチお花見

とりあえず身近なところでお花見
galerieHのとなりにある太子堂一丁目公園です
近所のみなみなさまの憩いの場として親しまれています
小さな一角なのだけれど
お昼時には近所で働く方達がお弁当を広げています
ちょっと100金まで行ったついでに寄ってみました
朝からの雨もあがり、適度な湿気と温度がとても気持ち良いです
レニーは一所懸命に描いてます




追加作品

本日追加した作品
画像が悪い
撮影し直します
とりあえずアップ



春の雨

今日は朝から雨
土曜日だというのに雨とは。。。
やはりお客さまとしては雨は動きずらですよねー
特にいまどきは震災のことや原発のことやで雨は歓迎できない雰囲気
それでも元気をだしてgalerieHは作家とともに歩いていきます。wwww
本日もレニーによるライヴドローイングを始めました。
今日はてっきり午後3時ころかと思ってノンビリとtwitterなんぞをチェックしていたら
早々にレニーが雨に打たれながらやってきました。
彼は自転車なのです。
いつも移動は自転車です。
私はロードバイク派なのですが、レニーはマウンテン派
私も以前は家から乗って通勤していたのですが、いかんせん家から
ギャラリーまでが近すぎてロードバイクだと2分で着いちゃうので自転車に乗ってる
意味が無いと思って歩くことにしました。
今は一所懸命に歩いて歩いて。。。ギャラリーと一緒ですが一歩一歩です。
さて、ライヴドローイング今日は時間が長いですヨ
レニー頑張ってね!!




Tシャツ

4月8日(金)Yさんの知り合いの方が来廊してくださいました。
一所懸命に作品を観ていただきありがたいことです。
レニーは役所の手続きの件で在廊できなかったので残念でしたが、Tシャツをお買い求め頂きました。
毎度ありがとうございますm(__)m


2011年4月8日金曜日

制作の意図

西川祥子さんが制作コンセプトを紙にして持ってきてくれました。
なるほどねー
galerieHオープンの時には作品を出品してもらいました。
百貨店でも注目度の高い作家です。
近々にはアートフェア京都に出品するそうです。
いずれgalerieHでも個展をやりたいですね。

↓西川祥子ホームページ↓



次の案内状

鶴田昌子さん参加のグループ展

案内状

作家の佐藤智美さんから展覧会の案内状をいただきました。
「2011 ユニグラバス小品展」
2011年4月18日(月)~4月23日(土)11:00~18:00(最終日のみ16:00まで)
ギャラリー ユニグラバス銀座館
http://www.uniglavas.com

月刊ギャラリー4月号

レニー・メイスの取材記事が掲載されました。
1P記事なのでレニーも喜んでいました。
が、日本語が雑誌を読むレベルまでは厳しいそうなので
友人に翻訳してもらうそうです。ルンルンでした。。。P27です。
月刊ギャラリーさん有難うございました。次の企画も宜しくお願いしますm(__)m


新旧

25年ほどになるでしょうか。。。
ズーット付き合ってくれている黒革の手帳。。。
と、今年新調した茶革のブックカヴァー。。。
万年筆はアウロラ。。。
これからもズーット宜しくお願いします。。。


2011年4月7日木曜日

絶品プリン!!

レニーのオープニングの時にいただいたプリン!
とっても濃厚で大人の味で美味しかったです。
オーナーさんもオープニングに来ていただいて有難うございました。
本日、再び食べたくなったので嫁に買ってきてもらいました。


お店はこちら⇒⇒⇒http://www.clover9.com/

ライヴドローイング

レニー・メイス展の会期中週末にはライヴで描いていきます。
本日は午後3時からシッカリと描いてます!
機会が少ないライヴペイントなので是非多くの方に観ていただきたいですね。




レニー・メイス展オープニング

4月5日(火)レニー・メイスの展覧会が始まりました。
ボールペンの作品を20点あまり展示しました。
大きな作品二つはまだ完成しておらず、会期中にライヴで描いていくそうです。
作品が出来ていく課程を見ることは中々機会が無いと思います。
是非、色々な方々に観ていただければなーと願っております。





3.11

地震のあった3月11日以来ブログが書けなかった。嫁の実家が今まさに世界中に有名になった福島県南相馬市!
11日の地震があってからは実家の義父の安否が心配で連絡をとるも、固定電話は通じず、携帯も混乱していて全く通信のすべが無かった。
ギャラリーは展示作品は全く問題なく、資料棚がガタガタと激しく揺れていたが、これも中身が落ちることはなかったが、東京生まれ東京育ちの私としてもかつて経験のないゆれ方と時間だった。
私の両親は松戸の戸建なので、先ずは松戸へ電話!これも中々繋がらない。携帯も同様。
そこで普段から母親も使っている携帯メールへ。
これは少したってから成功して、母親からは返信があった。
家はかなり揺れたらしいが特に大きな損害はなかったと。
そうこうしているうちに先にギャラリーから家に戻っていた嫁から電話があり、私達のマンションは全く問題なかったとのこと。グラスボードの中のグラスやボトルも全く動いた気配がなかったとのこと。そして我が家の娘(ネコ)2匹のうちお姉さんネコはナント!ソファで寝ていて、嫁があわてて帰宅した時に初めて起きた様子。。。。嫁の帰りが何時に無く早かったので起き出して伸びをする始末(^_^;)
しかしと云うか妹ネコはベットの下に隠れていたようです。
妹は普段から避難訓練をしており、その成果が実践できたようです。
そんなこんなで身近の安否を確認してから更に南相馬へ連絡を試みるも全くダメでした。
そこで、ギャラリーは倒れるような物ははずしたり寝かしたりして急遽、休廊することにした。
それからはtwitterで地震や南相馬などを検索して問合せなど始める。
そんな中、いち早くtwitterに南相馬のハッシュタグが出来て現地の方からの情報が上がり始めた。
これはかなり早く、助かりました。
まだ、テレビなどは具体的は状況は放映されていないときだったので情報を整理しながらツイートに参加していた。
この状況の中から個人的なお願いだが南相馬の義父の家の近辺情報を求めたところ、直ぐに返事があり、少なくとも津波の被害にはあって無いとの情報をくれた。
更にこの情報を裏付けるように市会議員の方からも大まかでは有るがとの但し書きで道路などの災害は認められるも津波は届かなかったとの情報!
この時点でもまだ、テレビ、ラジオなどは状況を伝える状態に無かったけれど、何となく大まかな安心は持てることができた。
それからやっと義父の近所の方とのメールが受け取れて義父の無事が伝えられた。
11日から3日3晩twitterにしがみつき情報の整理をしているうちに段々状況が見えてきてテレビもやっと画像が出てくるようになると津波の被害の大きさに身震いをした。
そんなこんなで4日もたった時についに義父と電話が通じ。。。。嫁の寝ずの心労もよそに結構な平常心で無事を話していたようだ。
今回はtwitterの威力をまざまざと見せられ、そしてありがたかった。
今ではtwitterの中の情報にも危ういものも含まれているようだが、発信元や前後の情報を落ち着いて読んでいるとある程度は整理が出来てくるもんだと少しこの世界に入れたかなーと。
今まで何かと情報は降りて来る物だけを信じていたが、今回の震災でtwitterやFacebookやインターネット上の情報、テレビ、ラジオの情報を色々読み聞きしたなかで自分なりに選択できるようになった感はあった。
東日本沿岸地域は北は青森から茨城、千葉あたりまで今後の復興には大変な労力が伴うと思うが私達も出来ることを出来るだけやって行きたいと思う。